●新潟の民放テレビ史
   

民放テレビ局の開局(昭和33年)

新潟に民放テレビ局が開局したのは昭和33年(1958年)のことでした。
昭和27年(1952年)に放送を開始したラジオ新潟(RNK)が昭和33年(1958年)にテレビ放送を開始、
昭和36年(1961年)には社名を新潟放送(BSN)に変更、現在に至っています。
開局からしばらくの間は民放1局体制が続きました。
5ch(BSN)、8ch(NHK総合)、12ch(NHK教育)のVHFのみの放送です。


VHFハイチャンネル(4〜12ch)用のアンテナの一例です。これは9エレメントの製品ですので、長距離もしくは反射波が多い地域で主に使用されるタイプです。VHF用のアンテナには1〜3ch用、4〜12ch用、1〜12ch用と、大きく分けて3種類ありますが、弥彦山からの直接波を受信する地域では1〜3chは使用されていませんので、4〜12ch用が使用に適しています。1〜12ch用を使用しても良いのですが、大きさが大きいうえ、広帯域をカバーするため、どうしても利得などの面で不利になってしまうようです。真電などでは4〜12ch用の製品を置いてありますが、ホームセンター等では1〜12ch用の製品が売られている場合が多いようです。やはり電器の専門店と、そうでない店との違いでしょうか。


これは東京地区などで使用される1〜3ch、4〜12ch両用のアンテナです。
ローチャンネル用の長いエレメントと、ハイチャンネル用の短いエレメントから構成されています。
新潟県内でも中継局で1〜3chと4〜12chとの両帯域が使用されている地域では、
この種の製品が使用されているものと思われます。

これ以外に1〜3ch用のアンテナも存在しますが、使用地区は限定されているものと思われます。
大きさ的にはFMアンテナを一回り小さくしたような感じです。



NST(新潟総合テレビ)の開局(昭和43年)

BSNの開局から10年後の昭和43年(1968年)、待望の2局目の民放、新潟総合テレビ(NST)が開局しました。
局名がNHKを思わせるような名称になっていますが、BSNがTBS系列を強く押し出していたため、
後発のNSTは日本テレビ、フジテレビ、NET(現テレビ朝日)の3局クロスネットにならざるを得ず、
多くの系列の番組を総合的に放送するという意味合いも込めて新潟総合テレビという名称にした・・・、
というのは管理人の勝手な想像であって、真相は定かではありません。

NSTが開局した昭和43年(1968年)からは新規に開局するテレビ局には
UHF(極超短波)帯が割り当てられることになりました。
続々と開局するテレビ局に対してVHF(超短波)帯の12チャンネルだけでは対応できなくなったためです。
NSTはUHFの35chでの開局となりましたが、当時のテレビはVHF専用だったため、
NSTを受信するためにはUHFコンバーターを外付けし、2chで同調を取って受信していました。
当時は局名を5、8、12というチャンネル番号で呼ぶことが多かったように記憶しています。
ただNSTのことは35と呼ぶよりもU(ユー)と呼ぶ方が多かったような気がします。


UHF放送が始まったことによって、このようなUHF専用のアンテナが必要になりました。VHFに比べて波長が短いためにエレメントの長さは非常に短くなっていますが、エレメントの数は多くなっています。また案外知られていませんがUHFアンテナにも帯域によって種類が分かれている場合があります。左の画像のUL204Cは13〜50ch用、UW204Cは30〜62ch用となっています。弥彦山からのUHF波は21、29、35chですので前者を、中継局で高いチャンネルを使用している地域では後者を使用するのが効率的ということになるのでしょうが、その差は僅かですし、大きさもさほど変わりませんから、あまりこだわる必要もないと思います。またメーカーによっては帯域を分けていない製品もあるかも知れません。

昭和44年2月22日の新潟日報テレビ欄

下の画像は昭和44年(1969年)の新潟日報のテレビ欄です。奇跡的にこのような良好な状態で残っていました。

NSTが開局したのが昭和43年(1968年)12月のことですから、
開局からやっと2ヶ月経過した頃の番組表ということになります。
開局当時のNSTは一日通しての放送ではなく途中で中断(テストパターンと表記)がありました。

特に午後の部の中断はかなり長時間だったように記憶しており、いったん停波したものと記憶しています。
カラーと表記のあるものはカラー放送、それ以外はまだ白黒の放送でした。

今ではスカパーなどでしか見られない番組がリアルタイムで放送されていた頃のことです。
(画像クリックで全体をご覧いただけます。728KBありますので環境によっては重いかも知れません)


全体画像でお気付きの方もいらっしゃるかもしれませんが、土曜にもかかわらずBSNの欄に「8時だヨ!全員集合」が見られません。
それもそのはず、同番組は昭和44年(1969年)10月の放送開始、この新聞はそれより半年以上前のものなのです。
「がっちり買いまショー」「お笑い頭の体操」など懐かしい番組が並んでいます。「巨人の星」は土曜の6時だったんですね。
また「キイハンター」はカラー化される以前のエピソードのようですね。
当時NSTで土曜夜8時から放送されていた「素浪人花山大吉」はコメディタッチの時代劇で、
BSNで「8時だヨ!〜」が新番組として放送開始になるまでは絶大な人気を誇っていました。
夜10:30からは「大奥」、大人の時間帯ということですね。




TNN(テレビ新潟)の開局(昭和56年)

新潟のテレビ局はしばらくこのまま民放2局体制が続きました。
NSTの開局から13年後の昭和56年(1981年)4月に日本テレビ系の
テレビ新潟(TNN:現TeNY)が29chで開局しました。
キー局の日本テレビでもTNNの開局には相当力を入れていたようです。
開局間際になると新聞に頻繁に告知が掲載され、
その中でチャンネルの4番にプリセットするように宣伝が行なわれていました。
これはもちろんキー局の日本テレビ(4ch)を強く意識していたからにほかなりません。
TNNがUHFで開局したことによって、NSTのことをU(ユー)とは呼べなくなってしまいました。
その時以来、NSTのことはNST(または35)、TNNのことはTNN(または29)と呼ぶようになって行きました。
1998年にTNNは愛称をTeNY(テニー)に変更、現在ではその呼び名が定着しています。

画像左は日本テレビのPR誌「うわさのテレビ」
1981年春号に掲載されたTNN開局の告知です。

画像右は同時に配布された下敷きです。

裏側は「日曜お笑い劇場」の出演者の
近藤真彦のポートレートになっています。

TNNではYES MYという言葉がキャッチフレーズになっており、YES MY○○という表現が盛んに使用されていました。もしかして今でも使われているかも知れませんが。

TNNのロゴマークの真ん中のNの形が特徴的ですが、
なんか、今ひとつ馴染めませんでした。
それから比べれば現在のTeNYのロゴマークは
はるかに洗練された印象があります。

(両方とも画像クリックで拡大されます)


TNNテレビ新潟基本番組表(1981年4月1日)
開局の時の番組表です。画像クリックで拡大画像をご覧いただけます。
(2006年8月15日掲載)





NT21(新潟テレビ21)の開局(昭和58年)

TNN開局2年後の昭和58年(1983年)10月にはテレビ朝日系の新潟テレビ21(NT21)が開局し、
現在の4局体制となりました。昭和57年の上越新幹線開業の前後は、
新潟の電波事情が急速に進化を遂げた時代でもありました。
また全国的に見ても大都市圏以外で民放4局体制になったのはかなり早い方でした。

昭和58年(1983年)10月のNT21基本番組表です。(画像クリックで拡大されます)

 

お宝紹介!
 
 NT21が試験電波を出している時にテストパターンのバックに延々と流れていた曲、
 CoCoの歌う「いとしのキャサリン」のカセットテープです。プレゼントに応募して当選しました。
 なんとB面は市販レコードバージョンです!
(画像クリックで拡大されます)

 CoCoといっても、アイドルグループのCoCoとは全く別物ですぞ!
 作詞はなんと秋元康です。おニャン子クラブで大ブレイクする直前のことですね。


「いとしのキャサリン」のジャケットと歌詞カードです。
(画像クリックで拡大されます)


 市販レコードバージョンのタイトルは「1973年のキャサリン」といいます。どこかで聞いたタイトルですよね。
 その通り、本田美奈子の大ヒット曲
「1986年のマリリン」とタイトルがクリソツですね。
 それもそのはず、「1973年のキャサリン」も
「1986年のマリリン」も、両方とも秋元康の作品。
 秋元先生、本田美奈子の名曲のタイトルは自分の曲のパクリだったんですね。この記事を作っていて初めて気付きました。
 ところで奥さんの高井麻巳子さんはお元気ですか?あたしゃ、ゆうゆのファンだったけどね。
 歌詞カードの方は「1973年の」の「の」が抜けてますけど、どっちが正しいんでしょうかねえ。



以下は昭和58年(1983年)の民放各局の番組表です。
ちょうどNT21が開局して、在京キー局4局の系列が出揃った時のプログラムです。
現在は基本番組表はテレビ局のホームページで見ることができますが、
当時は返信用切手を同封して送ってもらったものです。


 昭和58年(1983年)10月NT21基本番組表

 
放送開始〜11時(213KB) 11時〜19時(211KB) 19時〜放送終了(226KB)
 
 一週間を通して朝は6時を過ぎてから放送開始、しかも朝一番のスポーツニュースは前日の再放送、今では考えられませんね。
 平日の午前中には簡単すぎるクイズでおなじみの「100万円クイズハンター」、アシスタントの柳沢純子さんが好きでしたね。
 日曜の昼前に放送されていた「ぶったまピープー!」超マイナーな番組で、覚えている方は少ないでしょうね。
 女子タレントのそっくりさん同士でプロレスをする「くりそつおなごプロレス」のコーナーなど、くだらなさではピカイチでした。
 平日正午には「アフタヌーンショー」、
△1B&Bザ・ぼんちの「そーなんですよ川崎さん」などの
 流行語を生み出すきっかけになった伝説の番組です。
 水曜夜は「霊感ヤマカン第六感」、NT21が開局する前はNSTで日曜の午前中に放送していたような気が…。
 日曜夜は「象印クイズ、ヒントでピント」、難しさでは超一品でした。あんな問題なんで分かるんだ!とマジで思ったものです。
 そして平日夜は「トゥナイト」、山本晋也監督の風俗紹介等々、こんなのテレビでやっていいのか!と思うような内容続出でした。
 この頃から特に週末の各局深夜帯のテレビは過激さを増して行き、「ティッシュタイム」などというAVまがいのコーナーさえありました。
 ところがそのような状態を危惧した政治家の何とかという人(名前失念)の一声によりこういった内容の番組は姿を消して行き、
 現在のような健全な?番組構成になって行きました。

 NT21で好きだったアナウンサー 星山正子アナ

 村山朋彦アナ
、昔は「ジェイズ村山」とか言って深夜のアダルト番組に出てましたよねえ。
 近正仁アナは開局当時からの古参、口を大きく開けて基本に忠実にアナウンスしていたのが印象的、
 当時からゲーハーアナウンサーの片鱗が見られました。
 

 
△1 2005年6月4日 誤記訂正 B&B → ザ・ぼんち


 昭和58年(1983年)10月NST10月新番組編成表2次案
 放送開始〜12時(160KB) 12時〜21時(205KB) 21時〜放送終了(114KB)

 NT21の開局によってNSTのクロスネットが解消され、フジテレビ系として再出発する際の番組表です。
 「笑っていいとも!」はこの改編から新潟でも見られるようになりました。
 「笑っていいとも増刊号」は以前から放送されていましたが、この改編で放送時間が変更になっています。
 余談ですがフジテレビでは「笑っていいとも!」が始まる前、B&Bなどが出演する「笑ってる場合ですよ」という番組が放送されていました。

 番組表の色分けは当時私が施したもので、緑はフジテレビ系、
 赤はテレビ東京(東京12チャンネル)系、黄色はローカル、無着色部分は不明です。
 願わくばクロスネット時代のNSTの番組表があればいいのですが…、
 残念ながら持ってません、スミマセン。

 NSTで好きだったアナウンサー んん、特に印象ないなあ…


 昭和58年(1983年)11月TNN基本番組表
 
放送開始〜11時(191KB) 11時〜19時(209KB) 19時〜放送終了(227KB)

 平日午後「お昼のワイドショー」「ごちそうさま」「おしゃれ」「三枝の爆笑夫婦」「2時のワイドショー」と続くラインナップは最強でした。
 休日午後は「お笑いスター誕生!!」「スーパーJOCKY」、夜は「びっくり日本新記録」「すばらしい世界旅行」と懐かしい番組が続きます。
 土曜夜のお楽しみは「ウィーク・エンダー」タイトルバックの色っぽいイラストがムフフでした。
 平日夕方の「美樹・駒形の新潟NOW」は「BSNニュースワイド」より若干柔らかい内容で、今の「新潟一番」の原点と言えるかも知れません。

 YES MYシリーズ

 
TNNでは自社製作番組を「YES MYシリーズ」と呼んでいましたが、その中でタイトルに「YES MY」を冠した番組がいくつか存在しました。
 現在確認できているものは次の通りです。「YES MY愛&アイ」「YES MY奥さ〜ん」「YES MYお天気とハイライト」
 「土曜ワイドYES MYにいがた」「YES MYお店往来」「YES MY日曜の空」「YES MY美声一番」「YES MY早起き野球」「YES MYスニーカー」
 「YES MYお年頃」「YES MYふる里便」「YES MY学校自慢」「YES MYお茶の間情報」「YES MYスポーツレジャー情報」
 「YES MY大倉省吾のこの人登場」大倉省吾って誰?(※1)「YES MY暮らしのアンテナ」「YES MYザ・ツナヒキ」…。
 「YES MY」が付かない自社制作番組としては「宮尾すすむの嫁さんきなせや」「てんこもりテレビ」などがありました。
 「てんこもりテレビ」には堀敏彦さんが出てましたね。

TNN(TeNY)で好きだったアナウンサー 
小林美樹アナ、関純子アナ、 林妙アナ
 関さんがニュースを読み終わった後
「スタジオの小幡さん」と優しく語りかけるところが
 たまらなく(;´Д`)ハアハアでした。
峰アナがケツでワリバシ割ったシーンは伝説に。



 (※1)大倉省吾氏はBSNの大倉修吾氏のお兄さんだとのことです。
 (循環山の下様、情報ありがとうございます)





 昭和58年(1983年)10月BSN週刊プログラム
 
放送開始〜13時(242KB) 13時〜19時(160KB) 19時〜放送終了(205KB)

 平日正午の「スーパーダイスQ」真昼間からクイズ番組を放送していました。その以前は「ベルトクイズQ&Q」という番組が放送されていました。
 日曜朝は「時事放談」「兼高かおる世界の旅」午後はCX制作の「中央競馬中継」この競馬中継は系列が完成しても相変わらずBSNで
 放送されていました。CX系のNSTで放送されるようになったのはつい数年前のことですね。
 この月から「スチュワーデス物語」が放送開始、土曜夜の「クイズダービー」「8時だヨ!全員集合」と、まさにTBS黄金時代でした。
 この当時は放送されていませんでしたが、土曜昼の「土曜はヨイショ!」、どうってことないんだけどついつい見てしまう番組でした。

 BSNで好きだったアナウンサー 大塚アナ 池葉宏アナ 金親顕男アナ(現、取締役ラジオ局長なんですね!)
 伊藤充アナ、中岡みちアナ、中津川アナ、若い頃の小野沢祐子アナ、中川美希アナ、スナッピーのめぐちゃん
 小野沢さん、昔はBSNでニュースや天気予報を読んでいたこと、知ってる人、どのくらいいますかねえ?
 今好きなアナウンサー コバケイさんやスナッピーのりんりんもいいけど石塚かおりアナも(・∀・)イイ
 増山アナも守備範囲か?枦山南美さんCome Back Please!


 
 おまけ(どちらかというとラジオ編ですが…)
 
 NHK新潟放送局で好きだったアナウンサー      

 千田(せんだ)正穂アナ、榊アナ、松井アナ、
 合田アナがテレビの生放送中に海に落ちた場面は伝説に。
 NHKラジオでは一日何回か時報の前に局名とコールサインがアナウンスされていました。
 新潟であれば「NHK新潟FM放送です。JOQK-FM」というようになるのですが、
 千田アナの元気ハツラツ(死語?)のアナウンスが好きでした。
 
「エネーチケー新潟、エフエムほーそーです。ジェイオーキューケー、エフエム!」てな感じで。
 
また千田アナは天気予報を読む時「上中下越地方」と言わずに「上中越、下越地方」と言うことがありました。
 たぶんその方が語感が良かったのでしょうが、指摘でもされたのでしょうか、言わなくなってしまいました。



昭和58年現在の各局サービスエリアの比較(画像クリックで拡大されます)



           BSN(昭和58年10月現在)                     NT21(昭和58年10月現在)


       
TNN(昭和58年11月現在)

 画像上段左がBSN、右がNT21の中継局(昭和58年10月現在)、下段がTNN(昭和58年11月現在)の中継局です。
 NT21は開局と同時に何箇所かの中継局を開設、カバー率は92%に達していましたが、
 25年も早く開局したBSNの中継局の多さには到底及びませんでした。
 BSNとNT21とで弥彦山からの送信出力にかなりの差が見られますが、
 これはVHFとUHFとの電波の性質の違いによるものと思われます。
 ただVHFの5kwがUHFの30kwに相当するものなのかどうかは私も良く分かりません。



受信状態改善のために

送信所から遠く離れた弱電界地域や山間部などの難試聴地域での
受信状態改善にはどこでも苦労しているものと思います。
単に電波が弱いだけであればブースターを使用することである程度の改善は望めますが、
外来ノイズや周囲からの反射波、上空を飛行する航空機によるフラッター現象等々・・・、一様ではありません。
そこで登場するのがこのような超高性能型UHFアンテナということになります。


説明書によれば、抜群の高利得で微弱な電波も鋭くキャッチ、マルチディレクターと大型スクリーン反射器による鋭い半値角度と大きな前後比によって、ゴースト(二重像)、フラッター(上空を飛行機が飛ぶと画像がフラフラ動く現象)を大幅に軽減します、とあります。私も一時期、これより一回り小さい20エレメントタイプを設置していたことがありました。確かにゴーストは大幅に改善され、画像が目に見えてクリアーになりました。しかし大きく重いのが難点、ある日、突風に煽られて逝ってしまいました。こんなのが倒れた日にはそう簡単には直せません。その日以来、あまり無理をせず普通のアンテナでガマンすることにしました。



村上中継局

弥彦山から村上までは直線で約82km、その半分くらいの距離は海上ということになります。
岩船、瀬波温泉等の地区のうち、海岸に面した場所では弥彦山を見通すことができるため、
比較的電波状態は良いものと思われます。
一方、村上の市街地はと言えば、周囲を山に囲まれているため電波環境は良いとは言えません。
VHF、UHFともにある程度アンテナを高く設置すれば良く映ることは映るのですが、
電界強度が弱いため、どうしても外来ノイズが目立ちやすくなります。
またこのくらいの距離になると季節や気候による電波状態の変化が激しく、
VHFには激しいゴーストが発生、UHFは最悪何も映らなくなることがあります。
そんな訳で下渡山(げどやま)に中継局が設置されています。
チャンネルは40、42、44、46、48、50chを使用、出力は弱いものの、
家からは中継局が見渡せるため比較的安定した受信状態が得られています。
しかしながら当然といえば当然ですが、弥彦山からの電波状態が極端に悪化した場合、
悪化した電波を中継局が中継してしまうため、ゴーストが発生したり、映らなくなったりすることもあります。
でも中継局がなかった頃から比べればはるかにマシですが。



中継局の誤動作

今でこそNHKも終夜放送を行なっていますが、少し前までは深夜0時で放送終了していました。
ある時、放送終了したはずのNHK(総合だったか教育だっかか忘れた)の
村上中継局に薄っすらと変な画像が映っていました。
どうやら弥彦山からの電波が停波した後、能登半島あたりのどこかの中継局からの微弱な電波が村上まで届き、
村上中継局はそれを受信、中継してしまったらしいのです。
中継局は電波が届くと自動的に中継する(送信状態になる)システムになっているものと思わますが、
地元の放送が終了した後に、異常伝搬等によって遠くから同じ周波数の微弱な電波が届いていたりすると、
中継局は自分宛の電波と勘違いして中継してしまう、たぶんそんなところだろうと思います。
もちろん地元の局のようにクリアに受信できるということではありませんが、面白い現象です。



堀敏彦アナウンサー

萩本欽一氏の元で修行を重ね、東京でタレント活動をしていた堀さんが
テレビ新潟に入社、アナウンサーとして活躍を始めました。
入社間もない頃は必ず「テレビ新潟 新人アナウンサー」という注釈が付いていたものです。
そのため視聴者の中には「新人にしては上手い」などと言った人がいるようです。
堀さん自身が番組中でそう言っていました。
意外と知られていませんが、堀さんはBSNの大倉修吾氏と極めて親しい間柄のようです。
堀さんが中学生時代、母親に連れられて何度もBSNラジオの「ミュージックポスト」を見に行くうちに親しくなり、
ケーブルの引き回しやら何やら、ちょっとした手伝いをしていたこともあるということです。 



地上デジタル放送へ

4大都市圏ではすでに昨年から地上デジタル放送が開始されました。新潟では2006年に開始されると言われています。
これに伴なって大型の薄型テレビ(液晶・プラズマ)が大幅に販売数を伸ばしているということです。
現在、地上波デジタル内蔵の液晶テレビの場合、実売価格は1インチ=1万円前後のようですが、
恐らく今後1〜2年で急速に値段が下がってくることでしょう。
私も今回、液晶テレビの購入を検討していたのですが、もう少し待ってみるかなあ…、と思っています。
いずれにせよ新潟で地上波デジタルの試験電波が出る頃までには、対応テレビを購入したいと思っています。
その頃までに1インチあたり1万円を大幅に下回ることを期待したいです。


HOME


2004年
安良町交通博物館 管理人:安良町経由村上行き

Copyright(C)200
4 "Aramachi Transport Museum". All Rights Reserved.